8
2014 伊達誕
予感 8
「梵天丸様、おいででしょうか」
「梵天丸様。若、若君」
二度目の呼びかけにも応えはなく、不思議に思った小十郎が、とん、と障子の桟を叩けば、漸く気付いたのか、「なんだ」とやや幼さの強調された語調で梵天丸の声が聞こえた。
「夕餉の支度が整いましてございます」
律儀に答えた小十郎に、そうかと答えた梵天丸は、もぞもぞと起き上がった。
知らぬ間に眠っていたらしい。
暫く弁丸の寝顔を眺めていたのは覚えているが、その後の記憶が全くないのだから、大して時間も置かずに弁丸同様自分も昼寝をしてしまったのだろう。
ふわあ、と喉奥まで見えそうな欠伸をして、うーっと伸び上がり、一つ目をごしごしと擦ってから、梵天丸は自分の隣に転がる子どもに向き直った。
「弁丸、おい」
隣で梵天丸に足まで絡めて眠っている弁丸に梵天丸は声をかけた。
「おい、起きろ」
ぎゅうと梵天丸の薄物の袖を握る小さな手に、柄にもなくほっとしたような気持ちになって、梵天丸は一人頬染めたが、すぐ傍には小十郎が夕餉の呼び出しに控えていて、早く弁丸を起こさねばと思う。
「おい、いい加減にしろ! 弁丸」
僅かに語気を強めてその未だ丸く薄い肩をゆさゆさと揺さぶれば、むにゃむにゃと微かに呻き弁丸の丸い双眸が半分程瞼の隙間から見えた。
「起きたか?」
半分だけでも十分大きさのあるその瞳を覗き込んで梵天丸が伺えば、目の前に梵天丸がいることに安堵したような表情をした弁丸が、酷く嬉しそうに梵天丸の首に腕を回してきて。
「おふぁよごじゃましゅ」
起き抜けの更に滑舌の悪くなった言葉が、溶けるように甘い響きで梵天丸の耳を擽った。
瞬間、その声音を拾った耳が、火がついたようになって、そのまま少しの暇も与えずに梵天丸の白さ際立つ頬を夏の夕暮れと同じ色に染め上げた。
ぎゅうっと力任せに抱きついた弁丸は、寝惚けているのか、それともそういう習慣や風習が彼の国許ではあるのか、すりっと一人頬染め狼狽える梵天丸のその頬へ己の頬を寄せて、梵天丸殿、しゅき、と小さく呟くと、そのままちゅうと、茜色に染まる柔らかな頬を吸ったのだ。
「ッ……!」
余りの驚きに声も出せず、梵天丸はぎゅっと一つしかない目を瞑った。弁丸の小さな柔らかい唇が、己への好意を告げて、火照る頬に触れて鳥の囀るような音をさせたと、それは分かるのに、思考が追いつかない。
好きで憧れる南蛮の書物で読んだ、かの国の人々の挨拶と同じようで、それは、紛れも無く口吻だと。
分かるけれども、解らない。
どうして、何故、と巡るだけで。
そうして、暫くの間動けもせずに梵天丸が弁丸を首にぶら下げたまま固まっていれば、再びすよすよと気持ちよさげな吐息が聞こえて。
ずるっと弁丸の腕が外れて、ぽてっと床に落ちる。
それを見た梵天丸の中で、ふつふつと言い表せない何かが滾る。恥ずかしいのか悔しいのか苦しいのか、――嬉しいのか。
筆舌に尽くし難い気持ちを、まるっきり安心しきって眠り続けるこの子どもに、ぶつけることも出来なくて。
けれども、梵天丸とてやはり子どもなのだ。このやりきれなさを、遣る瀬なさを、どうしたらいいのか分からない。
隻眼を刮目させ、畜生と低く唸ると、梵天丸は己の中で煮え滾る何かに突き動かされるようにして、弁丸の頭を叩いたのだった。
「畜生! テメェいい加減にしろよ!」
弁丸の眠る真上で、本日一番の大声で怒鳴りつけながら――。
「梵天丸様、おいででしょうか」
「梵天丸様。若、若君」
二度目の呼びかけにも応えはなく、不思議に思った小十郎が、とん、と障子の桟を叩けば、漸く気付いたのか、「なんだ」とやや幼さの強調された語調で梵天丸の声が聞こえた。
「夕餉の支度が整いましてございます」
律儀に答えた小十郎に、そうかと答えた梵天丸は、もぞもぞと起き上がった。
知らぬ間に眠っていたらしい。
暫く弁丸の寝顔を眺めていたのは覚えているが、その後の記憶が全くないのだから、大して時間も置かずに弁丸同様自分も昼寝をしてしまったのだろう。
ふわあ、と喉奥まで見えそうな欠伸をして、うーっと伸び上がり、一つ目をごしごしと擦ってから、梵天丸は自分の隣に転がる子どもに向き直った。
「弁丸、おい」
隣で梵天丸に足まで絡めて眠っている弁丸に梵天丸は声をかけた。
「おい、起きろ」
ぎゅうと梵天丸の薄物の袖を握る小さな手に、柄にもなくほっとしたような気持ちになって、梵天丸は一人頬染めたが、すぐ傍には小十郎が夕餉の呼び出しに控えていて、早く弁丸を起こさねばと思う。
「おい、いい加減にしろ! 弁丸」
僅かに語気を強めてその未だ丸く薄い肩をゆさゆさと揺さぶれば、むにゃむにゃと微かに呻き弁丸の丸い双眸が半分程瞼の隙間から見えた。
「起きたか?」
半分だけでも十分大きさのあるその瞳を覗き込んで梵天丸が伺えば、目の前に梵天丸がいることに安堵したような表情をした弁丸が、酷く嬉しそうに梵天丸の首に腕を回してきて。
「おふぁよごじゃましゅ」
起き抜けの更に滑舌の悪くなった言葉が、溶けるように甘い響きで梵天丸の耳を擽った。
瞬間、その声音を拾った耳が、火がついたようになって、そのまま少しの暇も与えずに梵天丸の白さ際立つ頬を夏の夕暮れと同じ色に染め上げた。
ぎゅうっと力任せに抱きついた弁丸は、寝惚けているのか、それともそういう習慣や風習が彼の国許ではあるのか、すりっと一人頬染め狼狽える梵天丸のその頬へ己の頬を寄せて、梵天丸殿、しゅき、と小さく呟くと、そのままちゅうと、茜色に染まる柔らかな頬を吸ったのだ。
「ッ……!」
余りの驚きに声も出せず、梵天丸はぎゅっと一つしかない目を瞑った。弁丸の小さな柔らかい唇が、己への好意を告げて、火照る頬に触れて鳥の囀るような音をさせたと、それは分かるのに、思考が追いつかない。
好きで憧れる南蛮の書物で読んだ、かの国の人々の挨拶と同じようで、それは、紛れも無く口吻だと。
分かるけれども、解らない。
どうして、何故、と巡るだけで。
そうして、暫くの間動けもせずに梵天丸が弁丸を首にぶら下げたまま固まっていれば、再びすよすよと気持ちよさげな吐息が聞こえて。
ずるっと弁丸の腕が外れて、ぽてっと床に落ちる。
それを見た梵天丸の中で、ふつふつと言い表せない何かが滾る。恥ずかしいのか悔しいのか苦しいのか、――嬉しいのか。
筆舌に尽くし難い気持ちを、まるっきり安心しきって眠り続けるこの子どもに、ぶつけることも出来なくて。
けれども、梵天丸とてやはり子どもなのだ。このやりきれなさを、遣る瀬なさを、どうしたらいいのか分からない。
隻眼を刮目させ、畜生と低く唸ると、梵天丸は己の中で煮え滾る何かに突き動かされるようにして、弁丸の頭を叩いたのだった。
「畜生! テメェいい加減にしろよ!」
弁丸の眠る真上で、本日一番の大声で怒鳴りつけながら――。
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