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2014 伊達誕
予感 4



 漸くその場の空気が穏やかになって、はーっと盛大な溜め息を吐いてどっかりと膝立てて座り込んだ梵天丸に、ごほん! と態とらしい咳払いが聞こえた。
 しまった忘れていた! とばかりに、一番面倒臭いのが残っていたと、盛大に顰めっ面をしてみせれば、「さて、それはどういうご心境ですかな」とゆらりと何やら不穏な空気を纏って今の今までずっと黙と徹していた小十郎が躙り寄ってくる。
「そのままで結構」
 思わずしゃんと胡座をかきそうになった梵天丸に、小十郎は小さく応えて、ですが、と言葉を繋いだ。
 余りの迫力にか、梵天丸の傍で座していた弁丸も意味も分からず梵天丸の隣に正座で並んで、神妙な顔をしだす。
 と、それにぶふっとこの場に似つかわしくない音を立てたのは、先程から梵天丸が訝しむあの赤毛の少年だった。
 じろりと小十郎がそれを見咎めれば、いや、すみません、どうぞ続けて続けてと、そそくさと手で押しやるような所作をして、ずずっと下がる。
「佐助! 邪魔をしゅるな!」
 今度は比較的まともな発音でその名を呼んだ弁丸は、今までとは打って変わって主然とした態度であの少年を窘めた。
「すみません」
 ちっともすまないと思っていない素振りでぺこっと頭を下げた少年は可笑しそうに微笑んで。
「おい、誰だアイツは」
 何だあの野郎と、梵天丸がそっと弁丸に耳打ちすれば、それが擽ったかったのか、うひひと変な笑い声を立てたので、まるっきり手加減して好き放題に跳ねている茶色い癖毛頭を小突けば、「あれは佐助でしゅ」と酷く不明瞭で明瞭な答えが返ってくる。
 名前は佐助と言うのだろうと言う事は先程からの顛末で言われずとも分かるが、梵天丸が聞きたいのは、「そうじゃなくて」と四百年程後になってから定番になりそうな身振りで荷物を横に退かすような仕草をしたくなる。
 それを見越したのか「あ、俺様佐助。猿飛佐助ってゆーの。弁丸様の傅役? みたいな? 本業は忍なんだけど~。あはは~。そんな感じで、ま、以降お見知り置きを~」と、この時代にしては軽すぎるのではないかと思う程軽い口調で赤毛の少年は曰った。
 むかむかと意味もなく腹立たしい喋り方だと思い、梵天丸が歯軋りしていれば、猿飛、少し黙れと、低く唸るような声がして、梵天丸と弁丸は思わずお互いに抱き締め合った。
 びびびっと背筋に雷が走るようなその唸り声に、お互い意図せずに寄り添う。
 ちらりとその声の方を見れば、小十郎が落ちてきそうな前髪を右手で押さえているところだった。
「これはヤベェぞ。お前大人しくしとけ」
 この状態の小十郎の手厳しさを、面倒臭さを隅々まで理解している梵天丸は握り合った手の持ち主に、そっと忠告した。が、答えたのは余りにも空気を読まない溌剌とした声音だった。
「はい!」ときらきらの笑顔で答えた弁丸は、先程から梵天丸の態度が出会った当初よりも親しげで、嬉しくて浮き足立っていた。言われた言葉の理解すら追いつかず、梵天丸に言われた事にはその元来の性格を遺憾なく発揮して、殊更素直に是の答えを、これまた生来の気質のままに、元気一杯はっきりと答えてしまったのだ。
 ちっ! と盛大に舌打ちした梵天丸に、なあに? とでも言いたげな様子で弁丸が首を傾げれば、お前本当に馬鹿……と、梵天丸が肩を落とす。
 それに対して、ええ、なぜでごじゃるか、どうしてでしゅか、と懸命に縋る弁丸に、佐助と名乗った赤毛の少年は再び吹き出し、落ちてきそうな前髪をきりきりする胃痛を堪えながら撫で付けていた小十郎でさえも、ふ、と笑ってしまって――。
「まあもう、お二方ともそれぞれの父上から有難い教訓を得た事ですし、お分かりになったでしょう」
 本来ならばこの十倍は続く小十郎の小言が、たった一言で済んだ事に梵天丸は目を丸くした。
 何時もならば足が痺れて立てなくなるまでは、続くのに、と。
「殿も、お方様も、真田殿も、あのように仰られるのはお二人を思えばこそです。今後は梵天丸様はもう少しお優しくなられ、また、弁丸様は礼儀を重んじる方になられると、そう、小十郎は信じておりますれば。お二人がそのように育って頂ければ。これ以上嬉しい事はございません」
 短くも、幼い二人が時間の経過と共に忘れてしまいそうだった事を再び引き合いに出して、小十郎は釘を刺し、二人の反省を促す事も忘れはしなかった。そこには深い親愛と信頼と期待を籠めた声音が響いており、幼い二人の小さな胸にいつまでも残るようだった。
 そして、小十郎にしては珍しく幼い二人を安心させたかったのか、にっこりと微笑み、そろそろ八つ時ですなと、暗にお小言は終わりだと教えてくれる。
 それを見てえっ、えっ、と不可思議な声を上げて狼狽えたのが佐助だった。普段はその生業の性からか、顔色一つ変えなければ表情一つ変えない事も造作も無い彼にしてみれば、それはそれは大変珍しいぐらいに素で動揺も露わにしていて、普段そんな佐助など見た事もない弁丸を大層驚かせた。
「佐助! お主顔が変だじょ!」
 そんな事は言われなくても分かってるんですよと、佐助が頬を薄紅に染めて弁丸に抗議すれば、にゃはは! と弁丸は無邪気に笑い声を上げる。
 そして、弁丸に笑われている事などお構いなしと言った風情で、佐助が言を放った。
「あの、あなた、お名前何て言うの」
 そろっと近寄ってきた佐助に、先程子どもたちに見せた笑顔なぞ一寸とてありませんでしたとでも言いたげに、表情を強ばらせたのは、小十郎だった。
「ねえ、教えて」
 頬を染めて吊り気味の、しかし蠱惑的な赤茶色の目で見上げられて、小十郎は些か困った風に漆黒の、ともすれば凶悪にさえ見える切れ長の目を逸らせた。
「俺様、さっき、言ったでしょ。佐助。佐助って呼んで」
 小十郎があからさまに困惑していても、お構いなしにその瞳を追いかけて、己の名前を聞いてくるこの佐助と言う少年に、僅かに年上である小十郎は頬が熱くなる思いで、鬱陶しい! と佐助の胸を押し返した。
「そんなに近寄らなくても聞こえるし、知っている」
 はあ、と何故だか分からないけれど詰めていた息を吐き出して、小十郎はきっと少年を睨んだ。
「あーいいねー。その顔。凄いいい。んで、名前は?」
 平坦な抑揚でそう言うと、佐助は再び小十郎に名前を尋ねた。
 何がいいのかさっぱり分からないが、小十郎はこの得体の知れない緊張感と同じように得体の知れない少年から離れたくて、簡潔に名前を名乗った。
「片倉小十郎だ」
 左頬の傷もいいね~。今気付いたケド。凄いいい。何度目か分からない「凄いいい」を飄々と口にした後佐助は「片倉さん? 小十郎さん? どっちでもいい?」と嬉しそうな様子で教えてもらったばかりの相手の名前を反芻した。
「どっちでもいい。何でもいいが、呼ぶな」
 小十郎も何がどうしてこうなったんだと、追いつかぬ頭で返事をしてしまい、聞いている子どもたちですら、「小十郎、それ何言ってるか分かンねェよ。日本語でOK.だぞ」などと突っ込まれる始末で、かーっと頬に熱が集まる。
 そこへ来て弁丸は「おっけーとはなんでごじゃるか」と生来の好奇心の強さを発揮してくるので、もうそこは混沌とし始めてきて――。
「お前、おっけーじゃねェよ。Okayだよ」と、梵天丸が弁丸に兄貴風を吹かせれば、「おう? おうけぇい?」などとこちらも全く馬鹿丸出しで弁丸が縺れる言葉と格闘して、そのたびに違うそうじゃねェと梵天丸がこれ見よがしに流暢に南蛮語を発音すれば、弁丸も負けじと、おぅ? おぉぅ? おぉぅけぇい? などと言いながら出来もしない言葉の発音を試みたりして。
 その様子に梵天丸が吹き出して馬鹿笑いすれば、その笑顔が大好きな弁丸も自分が笑われているなどとは露程も思わず、一緒になって笑い出す始末で。
 どうしてこうなったと、そればかりが小十郎の脳内を巡るが、その原因を作ったあの赤毛の小僧、もとい、少年を睨んでみても、片倉さんかーなどと夢見るような瞳で遠くを見据えて己の名を繰り返していて。
「猿飛、」
 子どもたちの暴走を止めねばと、本当に不本意ながら小十郎が佐助に声をかければ、ん? なあに? と、きっと多分そんな風にされれば大抵の男も女も靡くだろう笑顔で返されてしまい、小十郎は一瞬うっと詰まってたじろいだが、そこはそれで、元来生真面目な上に梵天丸至上主義なので、とにかく今はこの事態を収束せねばと、そんな風にする必要は無いのは重々承知の上で、敢えてきりきりと己の眦を吊り上げた。
「オメェんとこの弁丸様(くそがき)を何とかしろ!」
 あ、ちょっと、今、心の声も聞こえちゃいましたよ~? と佐助にうふふと笑いながら、まあそう言いたくなる気持ちも分かるけどねーと至って普通に返されて、小十郎は些か拍子抜けしてしまった。
「と、とにかく、ここは客間だ。梵天丸様の方へ渡る」
 そう告げた小十郎は、梵天丸様、とやや強い調子で呼びかけた。
 それに気付いた梵天丸が、何だ、と笑い声に紛れて返せば、ここはもう用がございませんでしょう、そろそろ八つ時ですしご自分のお部屋へ、と小十郎は元来の真面目さで慇懃に告げる。
「そうか」
 と、これまた様式美のように鷹揚に頷いた梵天丸も、だがしかし小十郎に逆らうような素振りは見せず、分かったと言うなり弁丸に告げた。
「俺ァ帰んぞ」
 その言葉を聞いてげらげら笑い転げていた弁丸がぴたっと笑うのを止める。
「え? どこへでごじゃるか」
 急速に悲しみに覆われてゆく弁丸の顔に、何とも言えない気持ちになって、梵天丸は一度大きく息を吐いた。
「馬鹿だな。ここは俺んちだぞ。帰るつったら自分の部屋だろが」
 そして立て続けに言うのだ。
「お前もウチのどっかに部屋用意されてんだろ? 親父さんと。そこに帰んな」
 そう聞いて一瞬安堵の表情を浮かべた弁丸だったが、梵天丸の二言目には再び顔面崩壊の危機に見舞われた。
「う? うん? 多分、しょれがしたちの荷物が置いてある部屋だと思いましゅるが……」
 梵天丸に言われて、今にも崩壊しそうな涙腺を堪えて弁丸は素直に答える。
「んじゃ佐助もいんだし、場所ぐらい分かんだろ」
 じゃあな、と踵を返して歩き始めた梵天丸に、ぼすん! とかなりの衝撃が加わる。そのまま前のめりに蹴躓いて、梵天丸は固い廊下の床に強かに膝を打ち付けて、テメェ! と振り返った。
「いーやーだーあああああああ! 梵天丸殿おおおお!」
「いやでごじゃるうううううう! もっと一緒にいとうごじゃるうううう!」
 躓いた格好の梵天丸の背中の辺りにがしっとしがみついて、まるで朝から忙しなく溢れる蝉時雨を彷彿とさせるその喚き声と格好に、俄に沸点に達した怒りも削げるようで。
 そうして、梵天丸はちっと舌打ちすると、テメェ本当にふざけんなよ、と唸り、こっち来いと弁丸に手を差し出した。
 今にも泣きそうな顔で梵天丸にしがみついていた弁丸は、あの美しい手が目の前に差し出されて、一瞬きょとんとした後、すぐにぱっと破顔して、てへへと笑いながらその手を取ったのだった。


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