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『野良猫に原チャリを占拠されちゃった』





 幸村の住むアパートは決して古くもなく新しくもなく、だからといって隣の住人が立てる物音が筒抜けになるほどの安普請でもなければ、流行っているようなこじゃれた作りでもない。至って普通の、アパートらしいアパートで、その一階の角に幸村は部屋を借りていた。
 昔から見かける2DKで、一人立てばきゅうきゅうの台所と、地続きになった居間にしている部屋と、その奥に、パイプベッドや本棚が置かれた寝室があるだけだった。
 少しよかったな、と思うのは、日当たりはそこそこよいし、大学に近いし、道場にも近い。あとは、全ての床がフローリングだったことだ。
 寝室にはベッドと本棚と洋服箪笥があって、居間にはコタツの布団をはいだのと、テレビがあるぐらいで、至って物は少なく、シンプルだった。
 風呂とトイレは別で、洗濯機も室内に置けるようにはなっていたが、それなりの上背のある男が二人暮らすには、少し手狭な感じもした。

 けれど、彼は本来が猫なので、部屋の広さ狭さなどは関係なく、日当たりのよいベッドを一人で占拠してみたり、時間帯によっては台所で丸くなったりするなど、野良猫として培ってきたものを遺憾なく発揮してくれたのだ。
 当初、トイレを教えたときはとても嫌がって、縄張りにしているあの公園に行くんだ、とか、あの本屋の角を曲がった先にある花壇も俺のだし、とか、色々困らせられたが、なんとかトイレは覚えてもらった。
 次に苦戦したのは風呂で、猫とは水が嫌いなようで、こればかりは頑なに嫌がり、けれど、猫は綺麗好きと言う習性があり、今の体では毛繕いはおろか、猫様式の顔洗いすらもできないのですぞ、と散々説明して、何とか風呂に入らせる事に成功したが、それでも一人では絶対に入ってくれず、どれだけ遅くなろうとも眠くとも、彼は幸村と入るのだ。
 にゃあ! とも、ぎゃあ! ともつかない声を出して毎回ひと暴れするので、お互いにぼろぼろになるが、風呂に入らない、と言うのはいかんせんよろしくないので、今はこれで現状維持とした。
 そして、彼が興味を惹かれたのがテレビで、暇ならば日がな一日テレビを見て過ごしているらしく、どこでそんな言葉を、と思うような言葉を日に日に習得していき、目覚しい語彙の獲得をしていった。
 時々、幸村が敬愛する師匠に影響を受けた結果として、時代劇だとか、時代物の映画だとかを見てしまっても、幸村と同じ世代の友人たちからは、お前そりゃないぜ、とからかいを受けたりしたものだが、彼は一緒になって楽しんでくれたし、またそれを気に入って俺もあれ欲しい、などと言って、ドラマの中の武士が振り回している刀を必死に追いまわしたりして、それはそれは可愛らしい姿を見せてくれるのだ。

 そんなある日、最近は戦国武将ブームだとかで、歴史系のバラエティ番組で武将特集を組んでいて、今一番人気なのは、などと言う女性アナウンサーの声とともに、三日月の兜を被り、右目には眼帯をした武将が映し出された。
 一緒に見ていた幸村は、ああ、この御仁は、かの有名な、と思ってぼんやり見ていたが、彼は、Oh! と感嘆すると、見ろ! 俺と同じだ! と言って、右目を指差す。
 右目を失くし、生みの親に疎まれ、実の父をその手にかけ、それでも広い北の大地を統べ、後世に残るような様々な功績を上げ、大大名となったその武将の辿った軌跡を、じい、と聞いていた彼は、コイツすげぇな! イカスぜ、coolだぜ! と言い、俺も片目だけどすげぇ立派な猫になるぜ、と言って笑った。
 彼も、生んでくれた母親から人の手によって引き離され、遠い日本に連れてこられ、事故とは言え、人の手で右目を失い、人の手でお払い箱にされ、そして、自分の足だけで生きてきたのだ。
 人によって傷つけられた彼が、それでも人である己に少しずつでも心開き、こうして、忌み嫌っているであろう人の姿になってまでも、ありがとう、と言いにきてくれたのだ。
 そう思うと、何やら幸村にはこの猫殿が物凄く素晴らしいもののように思えて、堪らなくなる。
 敬意すら払いたくなるのだ。
 そして、幸村は彼に言った。


 ――政宗殿。


 ふうん、こんなヤツラもいるのかぁ、などと言いながら既に別の戦国武将の紹介をしているテレビを見ていた彼は、え、と言って振り向いた。
 まさむねって、さっきの右目がないくせにすげぇヤツだろ、と彼は言い、幸村は、左様です、と答える。
 そして付け加えるのだ。
 猫殿も、かの政宗公のように、右目などなくとも、ご立派に生きてこられた、ですから、名前がないのはおかしい。猫の世界に、語り継がれるような名前に致しましょうぞ、と。
 ですから、猫殿、そなたは今日から、政宗殿で、いかがでござろうか。
 Oh! That's great! Amazing! と彼は嬉しそうに頷き、OK. 俺は今日から政宗だ。You see? と幸村に向かって一つ目をきゅ、と細め、猫の名残のような八重歯を見せたのだった――。



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