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『野良猫に原チャリを占拠されちゃった』

十八



 初めて幸村の原チャリを見かけた日、政宗は近所のボス猫と喧嘩した帰りで、何日も食事をしておらず、それなのに喧嘩をしたので、余計に目が回っていた。


 あんまり知らない場所だったけど、時々見かけるぶーんと音が鳴るあの乗り物は、他の場所で見たことがあって、動かないときは安全なのだ、と知っていた。
 だから、一休みするのに、ちょうどいいと思った。
 それで、同じような形をした乗り物を全部におってみたけど、どれもみんな、いまいちで、赤いのだけがあったかくていいにおいがした、だから、俺はあの乗り物を自分のものにした。
 いっぱいいっぱいすりすりして、自分のにおいをつけて。
 雨が降ると消えちゃうから、雨宿りが終わったら、すぐに来て、誰にも取られないように、いつもすりすりした。
 時々爪を立ててバリバリとやったけど、他の人間みたいに、アンタは怒らなかったし。


 幸村は、そうなのか、気付いていなかった、と思ったが、黙っていた。

 まだ寒い時期だったけど、あの赤い乗り物はお日様が当たっていると、ぽかぽかして気持ちよかったし、いいにおいがしたから、いつもあそこで寝ていた。
 もう少ししたら、猫たちが、うるさくなる時期に、初めてアンタが俺に声をかけたんだ。
 それで、俺はこの人間、この乗り物と同じにおいがする、と思ったけど、眠いのに、俺に触るし、頭は怖いのに、急に触ってこようとするから、嫌で、びっくりして、引っかいたけど、アンタは怒らなくて、優しく、また、声をかけてきたんだ。
 ねこどの、って。
 ねこは、俺のことだろ。
 それは知ってる。
 俺たちは、人間から、猫、猫、って全部一緒に呼ばれるからな。
 だけど、ねこどの、は初めて聞いた言葉だったから、アンタの顔を見たんだ。
 そしたら目がきれいで、猫にいたらきっとかっこいいのに、って思って、ちょっとだけ、俺の子分にしてやってもいいかなって思ったけど、それなのに、アンタはまた俺を急に持ち上げて、赤い乗り物からどかそうとしただろ。
 だから、ムカッとして、いっぱい蹴ってやったのに、それなのに、やっぱり、アンタは怒らなかった。
 俺は右目もないし、真っ黒な猫だし、変な色の目だから、人間は俺のこと嫌って、頭を叩かれたりもした。
 売れ残りめ、って言われて、店の中をうろうろしていても誰も気にしないし、もういいや、て思って、外に飛び出したら、そういうヤツラがたくさんいて、もっと怖くなった。
 だから、俺はアンタが怒らなかったのが不思議だったし、へんなヤツ、と思った。
 今まで俺が見てきた人間は、時々はご飯をくれるいいヤツもいたけど、でも、ずっとじゃないし、時々撫でてくるヤツだって、いつもじゃない。
 それに、人間は、嫌なことがあると、猫に石を投げてきたり、乗り物に爪をたてると、怒鳴るし、酷いと、どくの餌をおいて、猫を殺すんだ。
 だから、アンタが、餌を持ってきたとき、俺がこの乗り物をずっと使っていたから、怒って、この餌にどくが入っているんだと思ったから、絶対に近寄らなかった。


 そうか、と幸村は思う。
 初めて政宗と邂逅した日、幸村は良い気分のままに、猫缶を買ってきて与えたが、決して近寄らず、それから数日間、一切食べた形跡のない猫缶をいくつも捨てたのだ。
 猫の目から見た人の世とは、なんと――。
 幸村は、切なくなり胸が苦しくなる。


 だけど、毎日ご飯が食べれるわけじゃないし、凄くおなかがすいてるときに、あの、パカンていう音が聞こえて、アンタが、今日こそ食べてくだされよ、と言って、置いていったのを見て、おなかがぎゅるぎゅるなって、もう、ほんとうによだれが出てきて、だから、初めて、くんくんてにおいをかいだ。
 怖いにおいはしなかったから、少し舐めたら、凄く、おいしくて、たくさん食べた。
 もう、明日死んでもいいや、て思って食べたんだ。

 幸村の眉間にさらに皺が寄る。
 猫の、野良猫の、生きる世界とは、なんと過酷で、辛いのか。

 でも、俺は生きていて、なんだ、あれは、おいしいものだったのか、って気がついた。
 だけど、最初はおいしいものをあたえて、俺が安心したころに、やっぱり、怖い事をするんじゃないかと思って、アンタがご飯をおいていくたびに、いつも、嬉しいのに嫌な気持ちになった。
 だけど、おなかがすいているのには負けるから、いつも、こっそり食べちゃってた。
 いつも、ちゃんと、目が覚めたら生きていたから、嬉しかった。
 でも、俺が食べてると、アンタが近寄ってくるようになって、ああ、やっぱり、安心させて、ころすんだ、と思ったら、嫌で嫌でたまらなくて、でも、このにおいは、あったかくてすきで、あの赤い乗り物で寝るのは、やめなかった。
 食べていても、引っかいてやればいいと思っていたけど、アンタが、俺が唸っても、かわいい顔で怒りなさるな、とか言いながら近寄ってきて、また、上から手が伸びてきたから、怖くて何度もご飯をほっぽって逃げたんだ。

 ああ、あれが、そんなに、恐ろしい思いをさせていたとは。幸村は自分の浅はかさに自分で自分を殴りたい思いになる。
 政宗は言葉が分かるとは言っても、全てを正しく理解できている訳ではないのだ。
 いい子だから、可愛いから、と言って笑顔で近寄っても、それが伝わらなければ意味がないのだ。
 そして、そう言いながら、顔に笑みを貼り付け、猫を、言葉にするのもおぞましいような目に合わせる人間がいるのも、まごう事なき、事実で――。

 幸村は、すまぬ、申し訳ござらん、と何度も頭を下げた。
 俺は政宗殿を怖がらせたかった訳では、ないのだ、と。


 無言のまま政宗は幸村の涙をあのお気に入りのタオルケットで拭う。
 そしてまた喋り始めるのだった――。


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