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『野良猫に原チャリを占拠されちゃった』

十六



 幸村が泣きたいような気持ちで、こんな事ならば、夏休みなどなければと思い、そもそも政宗を招き入れなければ、などと考え、挙句の果てには、原チャリを占拠されていなければ、いやいや、俺がここに住まなければ、などと沈鬱に数日過ごしていると、再び政宗が熱を出した。

 またか、と思う。
 これで、初めて熱を出してから三度目だ。
 一度目は耳。
 二度目は言葉。
 耳が生えた朝、舌足らずだったのは寝起きのせいだけではなかったらしく、次第に政宗の言葉は、以前の覚えたてではあるものの、はきはきとした口調ではなく、にゃ、とか、にゅ、とか、意味不明な音が混じるようになってきて、熱が下がった後はそれが顕著になったのだ。
 今ではもう、時々……――猫のようなのだ。
 政宗殿、と呼べば、にゃんだ、と返せばいい方で、にゃあ、と返される事もあるぐらいで。
 だから、幸村は必死でテレビを見せて、もう一度、言葉を覚えさせているのだ。
 時には、本を読んで聞かせる事もある。ちゃんと、俺と、話して下され、と。
 こうして、熱を出して、その熱が下がれば、猫としての部分が増えていくのだ。
 もう、このまま熱など下がらず、苦しんでいてもいいから、俺の側にいてくれないか、苦しいのなら俺が一生面倒見るから。起き上がれないのなら、すべて俺がやるから、とすら思う。
 それでも。
 それでも、彼の幸せを考えるならば、この熱が下がれば何かしらの変化が現れる。
 それを、一緒に、喜んで、やるべきなのだ――。

 熱が出た晩は、幸村は政宗を抱き締めて眠る事を許してもらっていた。
 病気じゃにゃいんだから平気だ、と言いながらも、その顔色は悪く、噴出す汗は尋常ではなく、虚ろな一つ目を見れば、心配するなという方が無理で。
 お頼み申す、と何度も頭を下げて、既に政宗のものになってしまっている幸村のベッドに、一緒に寝かせてもらえるようになったのだ。
 うう、うう、と唸る政宗を抱き締めながら幸村は思う。
 気休めにでも、と思い、背中を撫でさすりながら。
 この熱い体が、再び元に戻った時、今度は何が起きているのか、と。
 その時、俺は耐えられるのか、と。
 こうして、具合の悪そうな政宗を、ひたすらに心配している気持ちで抱き締めていても、心の奥底から湧き上がる情動に、突き動かされそうになるのに。
 これ以上、政宗が人の形を保てなくなっていくのなら、ならば、いっそ、その前に――。
 俺の。
 俺のものに。
 俺に、夢を、見せては、くれまいか、と。


 それでも、幸村は耐えるのだ。
 愛しい人よ。
 すべてはあなたのために。
 あなたの幸せこそが、俺の幸せなのだから。

 彼が元の姿に戻る事を望んでいる以上、俺にはそれを止める術はない。
 この人は、元々猫なのだから。
 猫に、恋する、愚かな、人間よ。
 幸村は滲む視界で笑う。
 こんなに酷く馬鹿げた話があるだろうか。
 それでも、ふうふう、と熱のせいで唸る政宗の声に、吐く息の熱さに、これ程までに、心を、体を、震わせている。

 浅はかで愚かな人間よ。
 人と獣は交われぬのに。
 それでも、それでも、求めて止まぬこの心を。体を。
 眉を顰め辛そうに唸る様を間近にしながらも。
 愛しいのだ。恋しいのだ。
 滲む視界に揺れる黒髪の、なんと、美しいことよ。


 俺は、馬鹿で、浅ましく、そして、――卑しい。


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