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『野良猫に原チャリを占拠されちゃった』

十四



 二、三日前に、恒例の『買い物しながら縄張り巡り花壇を巡るコース』に出かけていた時に、帰りに思いも寄らぬ雨に遭い、傘など持って出てきていなかった二人は、ずぶ濡れになったのだ。買い物も済ませてあったし、花壇たちは相変わらず綺麗だったし、政宗の縄張りは幸村が隠すように壁になった隙に、政宗がすりすりとして(本当はトイレがしたいと言われたが、それは絶対に駄目だと懇願した)いるお陰か、よそ者に荒らされた様子もなく、二人でホクホクとしていた時だったので、慌てて帰ったのだが。
 あの後、ずぶ濡れになってぶるぶると震える政宗を抱えて風呂に入れ、すぐさま温めたのに。
 彼は雨の日はいつも何となく元気がなくて、外に出られないし、濡れるのも嫌だし、土砂降りの日などは、音も怖いと言って、とにかく雨が苦手な様子だった。
 だから、あの日、あの、初めて幸村の家に訪ねてきた日以降、彼は雨の日は家で静かにしていたし、絶対に外に出ようとしなかったので、かなり久しぶりに、雨に当たったのだ。

 もしかして、野良猫の時代に苛酷な環境で培ってきた免疫だとか、抗体だとか、そう言うものが弱まっていたのでは、己が大事にするあまり、体が弱っていたのでは、と益々自分が不甲斐なく感じてきて、幸村は唇を噛む。

 政宗殿、政宗殿、何度も心で叫び、抱き締める。
 少しでもこの苦しみが楽になれば、と背中を撫で摩る。
 そして、そのまま政宗を抱き締めて幸村は眠ってしまったのだった。


 明くる日、目が覚めた幸村は寝てしまったのか、と少し後悔したものの、腕の中にすっぽりと納まっている政宗に安堵し、床に座ったままベッドに眠る政宗を抱えると言う無理な姿勢で一晩寝てしまったために体のあちこちが軋んでいたので、立ち上がって伸びをしてぽきぽき、と背中やら肩やらを解すと、再び政宗の顔を覗き込む。
 昨夜と違い、穏やかな寝顔になっている事に一安心した幸村は、寝ている間に落ちたらしい水ばかりになった氷嚢を拾い上げ、ようとして、手が止まる。
 これは、何だ。
 これは、何だ。
 大事な事なので二度言った。
 有り得ない。
 まさか。
 そんな。
 これではまるで。
 これではまるで?

 これではまるで、まるで、そう、猫のようではないか――。


 穏やかに眠る政宗の頭に、ぴょこんと突き出た三角のもの。
 これは、どう考えても、原チャリを占拠していた頃に、彼の頭上に生えていた、あの、ぴくぴくと動く様が可愛かったり、怒った時には伏せられたりと、表情豊かだった、耳、では、ないのか……。
 まさか、そんな、と、これを見てから何度も思った事を再び思い、幸村は呆然とした。
 猫に、戻ってしまうのか、と。
 あの高熱は、これの前触れだったのか、と。
 そんな、嫌だ、駄目だ、と幸村の心の奥が喚き叫ぶ。
 頭では、これでよかったのだ、これで政宗は元通りの生活に戻れるのだと分かっているのに。
 理性では分かっているものの、抗い難い力で心の奥が、魂のある場所から、駄目だ、嫌だ、政宗殿は、俺のものなのに、とせり上がる声――。

 そして、その声を聞いた時、初めて幸村は気付いたのだ。
 そうか。
 俺は、この方を、と。
 俺は、この人を、好きになっていたのだな、と。
 飼い猫が可愛いとか、そういうものを超越していたのだ。
 だって俺は、この方を、猫だと、飼い猫だなどと、思った事は、唯の一度もないのだから――。
 偶然にも巡り会った彼と、共に暮らしていると。
 愛らしく無邪気な彼と、同じ飯を食べ、一つ屋根の下で眠り、暮らす。
 そこには、慈しみたいだとか、大切にしたいだとか、そう言う感情は常に横たわっていたものの、決して彼を、猫だとか、飼っているだとか、そう言う思いでは見ていなかったのだ。


 こんな土壇場になって、やっと気が付くなんて。
 自分の愚かしさに涙が出てくるような思いで、幸村は唇を噛み締める。

 くるくると、よく変わる表情に見惚れ、テレビを見てはこれは何だと聞いてくる好奇心の強さに目を細め、気に入らない事があれば噛み付き引っ掻きするのに、それを俺は抵抗もせずに許し、一つの箸で食事をすれば、その食事の味が甘く感じた。
 寝顔を見れば今日も一日幸せだったと思い、背を撫で、んんん、と喉を鳴らす声に甘い疼きを感じたのは。
 八重歯を覗かせ、あの不思議な色の一つ目がきゅ、と細まると、自分まで嬉しくなってしまったのは。一緒に顔を綻ばせてしまっていたのは。
 すべて。
 すべて。
 ああ、俺は、と幸村は今度こそ涙を流す。
 政宗殿、政宗殿、俺は、あなたを――。


 万感の思いを込めて、幸村は政宗の背中を撫でる。

 愛しい人よ。
 あなたが猫の姿に戻っても、俺は、……。


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