6
2014 伊達誕
予感 6
けれどもしかしそれは。
「ぼんてんまるどのお、」
随分甘えた声音と口調で弁丸が起こした行動に、寧ろ抱っこされているのは自分の方なのでは? と梵天丸は思った。
膝に乗せてやろうと僅かにあのふくふくとした腕を引っ張れば、許しが出たと判断したのか、弁丸の方がぎゅうと抱きついて来て、梵天丸を抱き締めたのだ。
逆じゃねェのかと、内心で梵天丸は思ったが、いかんせん身長差という物を考えていないのか、己の胡座の間に突っ立ち、弁丸はぎゅうぎゅうと梵天丸の首根っこにしがみつき、これでもかと言う程抱き締めてくるのだ。
瞬間、驚きはしたが、嫌な気分にもなれず、梵天丸は弁丸の気の済むようにさせた。
「俺って案外心が広いんじゃねェか」
などと梵天丸がとんだ勘違いを起こしたのは、ここだけの話にしておくが。
ふんふんと子犬のように鼻を鳴らして梵天丸にしがみつく弁丸は、本物の犬の子のようで、更に言えばその鼻息が擽ったくて、梵天丸は再びくつくつと喉が震えるのを抑えられなかった。
「ふにゃ~。梵天丸殿、いいにおい……」
ふにゃふにゃと己に甘えて縋る弁丸に、匂いってと、コイツ本当に犬なんじゃねェかと思い始めた頃、開け放った障子に人影が現れた。
「梵天丸様、入ってもよろしいか」
相変わらず堅苦しい口調で小十郎が言葉をかければ、入ってくるなも何も、障子はこの弁丸が開け放ったままだし、こんな格好のままで、動けるわけもなく、しかしそれを小十郎に見られるのは余りにも恥ずかしい。
けれども、自分に甘えて縋る弁丸を今更剥がすのも忍びなくて……。
結局梵天丸はいつも通りに入れとだけ口にしたのだった。
そして気付く。
敷居を跨ぐ小十郎の肩が震えている事に。
「随分、殿とお方様の小言が身に沁みたようでございますな」
笑いを堪える声音で小十郎が茶の支度を整えながら漏らせば、開き直った梵天丸も、まァな、と素っ気なく返す。笑いたくば笑えと、今の梵天丸はそんな心境なのだ。
だって、仮令小十郎に笑われても、こうして懐く子どもを無碍にする事など、もう到底自分には出来そうもないのだから。
だから、小十郎に続いて入ってきたあの赤毛の少年―佐助―が、若様随分丸くなられましたねと、盛大に吹き出したのにも、帯に差してあった扇を投げつけただけで許してやったのだ。
自分と梵天丸の傅役二人がいても、それをまるっと無視するようにしていつまでも梵天丸に甘えていた弁丸だが、おい、と梵天丸に声をかけられて漸くその顔を上げた。
「いつまでも突っ立ってんな」
言われて、自分はこの部屋に来てから一度も座していなく、記憶のある限りではずっと梵天丸の首に縋り付いていたのを、弁丸は今更気付いた。
えへへと照れ笑いで誤魔化して、弁丸は梵天丸に聞いた。
「どこに座ってもようごじゃろうか?」
そう聞かれた梵天丸は、好きにしろとやはり味も素っ気もない答えを返す。
そして僅かに後悔したのだった。
「じゃあ、ここ!」
そう威勢よく声を張った弁丸がその場にちょこんとしゃがみ込んだから。
その場とは正にその場で、胡座をかく梵天丸の足の間にいた弁丸なのだから、その場にしゃがみ込めば寸分違わずそこは梵天丸の膝の上なのだ。
「あらあら弁丸様、赤ちゃんみたいですよ」
と、佐助が笑いながら嗜めれば、しょれがしは赤ちゃんではごじゃらん! と頬を膨らますが、どう見てもこれでは里心のついた子どもが懐いた人間に甘えているとしか思えない構図で。
僅かに眉を潜めた小十郎が、佐助を責めるような視線で見遣った後に、梵天丸様、その子どもをこちらへ、と声をかけたが、梵天丸は構いやしねェと一蹴した。
それを聞いて弁丸は、ほらな! と鼻を膨らませた。何がほらな、なのか弁丸以外の三人にはさっぱり分からないのだが。
「しょれがしの梵天丸殿は優しくて心が広いのだ。だから、このままでいいのでごじゃる」
湯呑みに口をつけていた梵天丸はその言葉にぶっと中身を吹き出すところだったが、寸でのところでそれは回避した。何てませた事を言い出すのかと。しかもきっと本人は無意識に。
茶の熱さのせいではなく、頬が火照るような気持ちで、梵天丸がそれを誤魔化すように「ナマ言ってんじゃねェ」と摘める高さもないような小さな弁丸の鼻をきゅっと摘んでやれば、意味が分かっていないのか勘違いしているのか、きゃっきゃと喜び、控えめに人二人分程空けて小十郎と佐助が座っている床板の、自分なりの境界線を見定めた弁丸は、佐助と、小十郎殿はここからこっちに来ちゃだめ、と笑窪のある手指でぴーっと横に線を描くようにしてみせた。それから、何事もなかったかのように再び梵天丸の膝に陣取った弁丸は、目の前に置かれた自分の城では見たこともない菓子類に目を輝かせた。
北国とはいえ伊達はそれなりに大きな領土持ちであり、交易も盛んに行っている。都から遠いとはいえども、客人に不自由はさせぬ程度には潤沢な品揃えが出来ることを、梵天丸も小十郎も誇りにしていた。
そして、あれも、これもと、強請られるままに梵天丸は弁丸に菓子を与え、目の前に差し出してやる。
そうやっている梵天丸を眺める小十郎は、人知れず胸が熱くなる思いでいた。あれだけ頑なだった梵天丸が、今やこんなにも柔らかな雰囲気で時には笑顔さえ見せているのだ。多少煩いような鬱陶しいような気もするが、確かに弁丸は梵天丸を変える良い切っ掛けになっているようだと、この姦しさと有り余る元気さには片目を瞑ってやろうと思う。ただ、あの傅役らしき胡散臭い忍は除いて、と。
そして、そんな風に思われているとは露知らずな佐助は、弁丸の引いた目に見えぬ境界線を意識しつつも甲斐甲斐しくまだまだ手のかかる幼子の世話を焼いていて、梵天丸からも小十郎からも内心評判は良くなかったが、俄に株を上げていた。ああほらほら、こぼさないで、あ、口の端が汚れてる、そんなに食べたら夕餉が食べられなくなりますよ、等々とまるで母親のように口喧しいが、それがきっとこの主従の間では普通と見えて、案外弁丸も素直に佐助に従っていて、寡黙できっちりと線引のされている伊達の主従を微笑ましい気持ちにさせるのだった。
けれどもしかしそれは。
「ぼんてんまるどのお、」
随分甘えた声音と口調で弁丸が起こした行動に、寧ろ抱っこされているのは自分の方なのでは? と梵天丸は思った。
膝に乗せてやろうと僅かにあのふくふくとした腕を引っ張れば、許しが出たと判断したのか、弁丸の方がぎゅうと抱きついて来て、梵天丸を抱き締めたのだ。
逆じゃねェのかと、内心で梵天丸は思ったが、いかんせん身長差という物を考えていないのか、己の胡座の間に突っ立ち、弁丸はぎゅうぎゅうと梵天丸の首根っこにしがみつき、これでもかと言う程抱き締めてくるのだ。
瞬間、驚きはしたが、嫌な気分にもなれず、梵天丸は弁丸の気の済むようにさせた。
「俺って案外心が広いんじゃねェか」
などと梵天丸がとんだ勘違いを起こしたのは、ここだけの話にしておくが。
ふんふんと子犬のように鼻を鳴らして梵天丸にしがみつく弁丸は、本物の犬の子のようで、更に言えばその鼻息が擽ったくて、梵天丸は再びくつくつと喉が震えるのを抑えられなかった。
「ふにゃ~。梵天丸殿、いいにおい……」
ふにゃふにゃと己に甘えて縋る弁丸に、匂いってと、コイツ本当に犬なんじゃねェかと思い始めた頃、開け放った障子に人影が現れた。
「梵天丸様、入ってもよろしいか」
相変わらず堅苦しい口調で小十郎が言葉をかければ、入ってくるなも何も、障子はこの弁丸が開け放ったままだし、こんな格好のままで、動けるわけもなく、しかしそれを小十郎に見られるのは余りにも恥ずかしい。
けれども、自分に甘えて縋る弁丸を今更剥がすのも忍びなくて……。
結局梵天丸はいつも通りに入れとだけ口にしたのだった。
そして気付く。
敷居を跨ぐ小十郎の肩が震えている事に。
「随分、殿とお方様の小言が身に沁みたようでございますな」
笑いを堪える声音で小十郎が茶の支度を整えながら漏らせば、開き直った梵天丸も、まァな、と素っ気なく返す。笑いたくば笑えと、今の梵天丸はそんな心境なのだ。
だって、仮令小十郎に笑われても、こうして懐く子どもを無碍にする事など、もう到底自分には出来そうもないのだから。
だから、小十郎に続いて入ってきたあの赤毛の少年―佐助―が、若様随分丸くなられましたねと、盛大に吹き出したのにも、帯に差してあった扇を投げつけただけで許してやったのだ。
自分と梵天丸の傅役二人がいても、それをまるっと無視するようにしていつまでも梵天丸に甘えていた弁丸だが、おい、と梵天丸に声をかけられて漸くその顔を上げた。
「いつまでも突っ立ってんな」
言われて、自分はこの部屋に来てから一度も座していなく、記憶のある限りではずっと梵天丸の首に縋り付いていたのを、弁丸は今更気付いた。
えへへと照れ笑いで誤魔化して、弁丸は梵天丸に聞いた。
「どこに座ってもようごじゃろうか?」
そう聞かれた梵天丸は、好きにしろとやはり味も素っ気もない答えを返す。
そして僅かに後悔したのだった。
「じゃあ、ここ!」
そう威勢よく声を張った弁丸がその場にちょこんとしゃがみ込んだから。
その場とは正にその場で、胡座をかく梵天丸の足の間にいた弁丸なのだから、その場にしゃがみ込めば寸分違わずそこは梵天丸の膝の上なのだ。
「あらあら弁丸様、赤ちゃんみたいですよ」
と、佐助が笑いながら嗜めれば、しょれがしは赤ちゃんではごじゃらん! と頬を膨らますが、どう見てもこれでは里心のついた子どもが懐いた人間に甘えているとしか思えない構図で。
僅かに眉を潜めた小十郎が、佐助を責めるような視線で見遣った後に、梵天丸様、その子どもをこちらへ、と声をかけたが、梵天丸は構いやしねェと一蹴した。
それを聞いて弁丸は、ほらな! と鼻を膨らませた。何がほらな、なのか弁丸以外の三人にはさっぱり分からないのだが。
「しょれがしの梵天丸殿は優しくて心が広いのだ。だから、このままでいいのでごじゃる」
湯呑みに口をつけていた梵天丸はその言葉にぶっと中身を吹き出すところだったが、寸でのところでそれは回避した。何てませた事を言い出すのかと。しかもきっと本人は無意識に。
茶の熱さのせいではなく、頬が火照るような気持ちで、梵天丸がそれを誤魔化すように「ナマ言ってんじゃねェ」と摘める高さもないような小さな弁丸の鼻をきゅっと摘んでやれば、意味が分かっていないのか勘違いしているのか、きゃっきゃと喜び、控えめに人二人分程空けて小十郎と佐助が座っている床板の、自分なりの境界線を見定めた弁丸は、佐助と、小十郎殿はここからこっちに来ちゃだめ、と笑窪のある手指でぴーっと横に線を描くようにしてみせた。それから、何事もなかったかのように再び梵天丸の膝に陣取った弁丸は、目の前に置かれた自分の城では見たこともない菓子類に目を輝かせた。
北国とはいえ伊達はそれなりに大きな領土持ちであり、交易も盛んに行っている。都から遠いとはいえども、客人に不自由はさせぬ程度には潤沢な品揃えが出来ることを、梵天丸も小十郎も誇りにしていた。
そして、あれも、これもと、強請られるままに梵天丸は弁丸に菓子を与え、目の前に差し出してやる。
そうやっている梵天丸を眺める小十郎は、人知れず胸が熱くなる思いでいた。あれだけ頑なだった梵天丸が、今やこんなにも柔らかな雰囲気で時には笑顔さえ見せているのだ。多少煩いような鬱陶しいような気もするが、確かに弁丸は梵天丸を変える良い切っ掛けになっているようだと、この姦しさと有り余る元気さには片目を瞑ってやろうと思う。ただ、あの傅役らしき胡散臭い忍は除いて、と。
そして、そんな風に思われているとは露知らずな佐助は、弁丸の引いた目に見えぬ境界線を意識しつつも甲斐甲斐しくまだまだ手のかかる幼子の世話を焼いていて、梵天丸からも小十郎からも内心評判は良くなかったが、俄に株を上げていた。ああほらほら、こぼさないで、あ、口の端が汚れてる、そんなに食べたら夕餉が食べられなくなりますよ、等々とまるで母親のように口喧しいが、それがきっとこの主従の間では普通と見えて、案外弁丸も素直に佐助に従っていて、寡黙できっちりと線引のされている伊達の主従を微笑ましい気持ちにさせるのだった。
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