1
2014 伊達誕
予感 1
梅雨が明けて空は高く青くなり、そこに浮かぶ雲は大きく白くその形を入道と擬えられる程に育て上げていた。折しも蝉は忙しく鳴き、日差しは強く、北の大地に僅かばかりに太陽の恵みを齎せる時節になっていた。
いくら寒々しい北国とて、真夏の、それも盛夏ともなれば暑さは一入で、梵天丸は未だに着替えもせずにだらだらと自室の日陰で伸びきっていた。
母屋に続く廊下では侍女や側役がばたばたと忙しそうに動きまわっており、時折お東の方―母である義姫―が注意を促す声なども混じり、益々夏の喧騒が深まる。
――またか。
怠そうに片目を瞑り―もう片方は既に瞑りっ放しなので―、はあ、と盛大な溜め息を吐くと、梵天丸はごろんと壁に向かって寝返りを打った。
毎年毎年この時季になると家内が忙しく姦しくなる。
それは偏に己のためだとは分かっていても、それでもほんの一年前にも満たない頃に疱瘡を患ってからの自分にとって、この賑やかしさは歓迎したいものではなかった。
暑くてもきっちりと襟を合わせて夏物を着込み、頭から顔面の半分を覆う白い布は外せない。どうしてだ、何故だと泣き喚き、傅役である―片倉―小十郎を途方に暮れさせ、見た事のない程苦しい顔をさせて、そして、一番辛い役目を押し付けた。
その結果の白布を。
未だ外せないでいるのだ。
侍医は既に傷は塞がっており、寧ろ外気に当てて乾燥させ日光による消毒を促しているのに。
それでも、頑なに蟠った己の性根の深い部分でこの白布は自分を守る寄す処になっていて――。
未だ幼い年頃だと言われもするが、武家の嫡男として生まれた己にとって、既にもう齢は六つになるのだ。白布と小十郎に守られ、剣術も兵法も漢詩も算術も書も。全てひと通りこなし、きっと同じ年頃の子どもよりは遥かに自分は秀でていると自負はあっても。それでも未だあの東の渡りを素直に歩けない。
一つ年下の竺丸―弟―の、幼子特有の甲高く、けれども耳障りの良い朗らかな声が聞こえ、そこに父の、母の、家臣たちの笑い声が混じっていようとも、自分は進んであの東へ渡っては行けない。
柔らかく美しく愛されて育まれる竺丸に、愛しいと思う反面、己の醜さを痛感させられるようで――。
そんな事を思いながらも、埒もないと諦めのように鼻で笑って梵天丸はのっそりと身を起こした。
日の当たらぬ室の奥で壁に向かってこつんと額をぶつける。
どうせ、こうしてここで一人途方に暮れていても、明日になれば大勢の家臣と従属する近隣諸国の代表がやってきて、煩わしくも儀礼的な儀式と宴を催すのだ。
父の偉大さを痛感しながら、その横で鷹揚に頷き、人目を気にして、避けたくとも避けられぬ上段で。
侮蔑とも憐れみとも卑下とも取れる、好奇の目に晒され、そして殊更慇懃に祝いなど述べられて。
考えただけで気鬱だが、それでもそれは逃げられぬ事なのだと、矜持だけは人一倍強く高い梵天丸は腹を括る。
酒の席になれば己は下がる事ができるし、一時の事ではないかと。
いつの日かこの北の名家を名実共に受け継ぐために。未だ幼名のままではあるが、そう遠くない日には、伊達某と名を戴き、遡れば藤原氏に連なるこの家を、領土を、守り更に強大に鍛え上げていくのは己だと。
ただ只管にその思いで。
梵天丸はじんわりと汗に濡れる額を壁から離した。
梅雨が明けて空は高く青くなり、そこに浮かぶ雲は大きく白くその形を入道と擬えられる程に育て上げていた。折しも蝉は忙しく鳴き、日差しは強く、北の大地に僅かばかりに太陽の恵みを齎せる時節になっていた。
いくら寒々しい北国とて、真夏の、それも盛夏ともなれば暑さは一入で、梵天丸は未だに着替えもせずにだらだらと自室の日陰で伸びきっていた。
母屋に続く廊下では侍女や側役がばたばたと忙しそうに動きまわっており、時折お東の方―母である義姫―が注意を促す声なども混じり、益々夏の喧騒が深まる。
――またか。
怠そうに片目を瞑り―もう片方は既に瞑りっ放しなので―、はあ、と盛大な溜め息を吐くと、梵天丸はごろんと壁に向かって寝返りを打った。
毎年毎年この時季になると家内が忙しく姦しくなる。
それは偏に己のためだとは分かっていても、それでもほんの一年前にも満たない頃に疱瘡を患ってからの自分にとって、この賑やかしさは歓迎したいものではなかった。
暑くてもきっちりと襟を合わせて夏物を着込み、頭から顔面の半分を覆う白い布は外せない。どうしてだ、何故だと泣き喚き、傅役である―片倉―小十郎を途方に暮れさせ、見た事のない程苦しい顔をさせて、そして、一番辛い役目を押し付けた。
その結果の白布を。
未だ外せないでいるのだ。
侍医は既に傷は塞がっており、寧ろ外気に当てて乾燥させ日光による消毒を促しているのに。
それでも、頑なに蟠った己の性根の深い部分でこの白布は自分を守る寄す処になっていて――。
未だ幼い年頃だと言われもするが、武家の嫡男として生まれた己にとって、既にもう齢は六つになるのだ。白布と小十郎に守られ、剣術も兵法も漢詩も算術も書も。全てひと通りこなし、きっと同じ年頃の子どもよりは遥かに自分は秀でていると自負はあっても。それでも未だあの東の渡りを素直に歩けない。
一つ年下の竺丸―弟―の、幼子特有の甲高く、けれども耳障りの良い朗らかな声が聞こえ、そこに父の、母の、家臣たちの笑い声が混じっていようとも、自分は進んであの東へ渡っては行けない。
柔らかく美しく愛されて育まれる竺丸に、愛しいと思う反面、己の醜さを痛感させられるようで――。
そんな事を思いながらも、埒もないと諦めのように鼻で笑って梵天丸はのっそりと身を起こした。
日の当たらぬ室の奥で壁に向かってこつんと額をぶつける。
どうせ、こうしてここで一人途方に暮れていても、明日になれば大勢の家臣と従属する近隣諸国の代表がやってきて、煩わしくも儀礼的な儀式と宴を催すのだ。
父の偉大さを痛感しながら、その横で鷹揚に頷き、人目を気にして、避けたくとも避けられぬ上段で。
侮蔑とも憐れみとも卑下とも取れる、好奇の目に晒され、そして殊更慇懃に祝いなど述べられて。
考えただけで気鬱だが、それでもそれは逃げられぬ事なのだと、矜持だけは人一倍強く高い梵天丸は腹を括る。
酒の席になれば己は下がる事ができるし、一時の事ではないかと。
いつの日かこの北の名家を名実共に受け継ぐために。未だ幼名のままではあるが、そう遠くない日には、伊達某と名を戴き、遡れば藤原氏に連なるこの家を、領土を、守り更に強大に鍛え上げていくのは己だと。
ただ只管にその思いで。
梵天丸はじんわりと汗に濡れる額を壁から離した。
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