1

拍手過去ログ
『野良猫に原チャリを占拠されちゃった』





 む。また。
 幸村は自分のアパートの下で、唸った。
 二階建てのアパートには色々な住民がいて、自転車やら原チャリやらが、雑然と、だが整然と、並んでいる。その駐輪場で、幸村は自分の原チャリを前に腕組みして唸っているのだ。
 また、お主か。
 今日は久しぶりに天気がよくなったので、心許なくなった冷蔵庫の中身を補充しようと思って、出かける予定なのだ。荷物もかさばるし、できるなら原チャリで出かけて帰りは楽をしたかった。
 起こすのも、かわいそうだが……。
 これがないと俺も困るからなぁ。
 どうしたもんか、と考えて、自分の原チャリのシートに丸くなる黒い野良猫を見遣る。
 いつも、天気がよい日には幸村の真っ赤な原チャリのシートで丸くなっているのだ。黒く光る毛並みは滑らかで、つやつやしていて、きっとどこかいいところで飼われていたらしい、と思われるのだが、この猫は首輪もしておらず、野良猫のようなのだ。
 こんなに美しく綺麗な猫なのに、この、片目の怪我のせいだろうか、と丸くなる猫の頭をそっと撫でてみる。
 んにゃん、と黒猫は鳴き、しゃっと幸村の手に爪を立てる。
 なんと、この猫の鋭いことよ、と驚き、慌てて手を引っ込めるが、すでに遅く、幸村の骨ばった手の甲には三つばかり薄く血の滲む細い線がついていた。
 いつもいつも俺の原チャリを占拠しおって、と、少し憎らしい気持ちが湧き上がるが、生来気の優しい幸村は猫を無碍に扱うことも出来ず、途方に暮れる。
 猫の方は幸村に爪を立てて追い払った事に満足したのか、再びうとうとと微睡み、今度は傷のある方の顔を前足の中に埋めている。
 早く行かねば本日のお買い得品の卵が、牛乳が、と幸村の頭の中に主婦のような考えが浮かんでくるが、気持ちよさそうに寝ている猫になかなか手が出せない。
 猫殿、どいてくだされ、と思って少し原チャリを揺すってみるが、ちょっとやそっとのことでは微動だにしてくれず、これはもう、申し訳ないがどいてもらうしかないな、と思い、意を決して、抱き上げようとすると、にゃ、と頭を上げた猫の目が開く。
 薄い青に金色の陰が入ったなんとも不思議な目の色をした猫で、縦に伸びた虹彩が黒く細く、幸村を見ていた。
 猫殿、と声をかけて、どいて下さらんか、と頼んでみるものの、猫はじっと幸村の顔を見上げるのみで。
 はぁ、これでは埒が明かないと思い、けれど、今日の買い物を諦めるわけにはいかず、幸村は仕方なく持ってきた半帽を頭に被ると、猫殿ご免と言い置いて、猫の腹に手を回す。
 猫は案外軽く、つやつやとした毛並みに想像していた通りの手触りのよい毛で覆われていて、くにゃりと曲がり、にゃああ!! と大声で鳴いた。
 あ、そんな、そのような大声出さないで下され、と思うものの、野良猫は暴れて鳴き喚き、後ろ足で腹を抱える幸村の手をがりがりと引っかく。
 あいたたと、つい、手をぱっと離してしまい、幸村は猫を見るが、猫は身軽な動作ですとん、と着地すると、恨めしそうな顔で幸村を見上げ、ふい、とどこかに消えてしまった。
 いつもいつも幸村が原チャリを見るたびにシートで寝ている黒い野良猫。
 今日初めてまとも(?)に接触したが、なかなか気の強そうな猫でござったな、と思いながら、スクーターのエンジンをかける。
 だがしかし、とても美しい猫だった、と思い、幸村は近所のスーパーへと原チャリを走らせた。




 ――そうだ、バイト代も入ったことだし、猫の缶詰でも買ってみようか、と笑顔を覗かせて。


スポンサードリンク


この広告は一定期間更新がない場合に表示されます。
コンテンツの更新が行われると非表示に戻ります。
また、プレミアムユーザーになると常に非表示になります。