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あ。~上~

あ。~上~
あ。上
早朝の電車。
初めて見かけた時にお互いに「あ」と思った。
ほんの数十分の邂逅の中で深まる気持ち。
お互いに意識し合いながらも悩み、戸惑い、笑い合う。
ヘタレ攻めと乙女受けで推して参る割りと長編(上中下)。
佐助さんのアシストは炎属性にも効果あり?
今回は片倉さんはお留守番。
近々一冊にまとめてDL通販にする予定です。
DL通販中です。


以下本文抜粋

 あ。


 と、思った。
 毎朝通学に使う電車で。
 最初は、この制服は見かけた事がないな、と思っただけだったが、毎朝一緒に乗り合わせるようになって、次第に他の情報も入り始め、その学校は自分が降りる駅からさらに二つ先に進んだ所にある進学校だ、とか、私立の学校で校風は割りと自由らしい、とか。
 聞けば地元ではそれなりに名の通った伝統校らしい、とか。
 その制服のネクタイの色は、自分と同じ二年生のものだ、とか。



 ――彼の名前は、伊達政宗、と、言うらしい、とか。





初恋



 地元の、至って普通の、可もなく不可もない高校に通っている真田幸村は、毎朝部活の朝練に出るために、通常の学生や社会人などより幾分早い時間帯の電車に乗るのが、習慣だった。
 小さい頃からやんちゃで、落ち着きがなく、走り回っては有り余る体力を発散させて自宅の庭先を荒らし、公園を端から端まで探検し、終いには近くの小高い山にまで登って怪我をして帰ってきて、家人を慌てふためかせたりして過ごしてきた幼少時代から、高校生になった今になるまで、体を動かす事だけは好きで、得意な幸村が、好きが高じて陸上部に所属したのは自然の摂理に適ったものだった。
 中学時代から続けた陸上のお陰で、今の高校にはすんなりと入れたし、それなりに陸上界では優秀な成績を収めているので、少しくらいテストの結果が悪くても、特に文句も言われず、敬愛すべき素晴らしい指導者に巡り合えた上に、世話好きな一歳年上の従兄弟も同じ学校にいたりして、なかなか自分なりには順風満帆な高校生活を送っていると、思っていた。
 そんな幸村が朝練のために早朝から電車に乗るのは、彼是既に一年が過ぎようとしていた。
 高校二年に上がり、相変わらず続く厳しい練習に通うのも、朝早くに起きるのもすっかり慣れて、いつもと同じ時間にいつもと同じ電車のいつもと同じ車両に乗り込んだ時だったのだ。
 あ、と思ったのは。
 早朝なので電車はほぼ空席ばかりで、幸村は束の間の憩いの時間をいつも座席に座って確保できていた。
 いつもと同じ車両の、出入り口付近の一席が、幸村の指定席になっていた。そして、今日もいつも通りにその席に腰掛けようとして、目をやったその時に気付いたのだ。
 いつもの座席に、人が座っている、と。
 今までも、なくはなかったが、殆どなかった出来事に幸村は一瞬戸惑いを覚えたが、まぁ、こんな日もあるさ、と特に気にも留めずに、自分が勝手に指定席扱いしていたのだしな、と思い、既に座っている人の隣に腰掛けた。
 いつも幸村が座っている席の、前の席はやはり、早朝から仕事があるのか、いつも同じ社会人が座っていて、今朝もその社会人は既に腰掛け、ヘッドフォンをして夢の中に旅立っていたし、その横も雑誌に目を通すスーツ姿の人がいたりして、学生で運動部特有の馬鹿みたいに大きい鞄を抱えた自分が座るには憚られたし、何より自分が指定席としていた場所の隣は空いていたのだ。
 いくら元気が取り柄の幸村と言えど、厳しい部活の前のひと時ぐらいは重たい鞄を肩から下ろし座りたい、と言うのが人情と言うもので。
 自分がいつも座っている席に座っているのは、見た事のない学校の制服と思しきもので、その人の隣に二人分程空いて、社会人らしき女性が一生懸命鏡を覗き込んでいたので、幸村は、その見た事のない制服姿の人の隣に、自分の鞄を抱えて座った。
 見た事のない制服姿の人は、艶々とした黒髪を揺らして、自分と同じように通学鞄を抱え込んで、俯いていたので、寝ているようだった。
 この制服は、あまり見かけた事がないな、と思いつつも、いつもと違うシチュエーションに戸惑い、何となく隣の人を見てしまう。
 電車ががたん、と揺れるたびに同じタイミングで隣の人の頭も揺れて、その瞬間に、ふわり、と良い匂いがして、幸村は驚いて一人分空けて座っていた鏡を一生懸命覗き込んでいた女性を見遣ったが、人工的な派手な香りは漂ってくるが、さっきの匂いは彼女からではないな、と思い直して、再び見るともなしに見る場所もないので、対面にある社会人たちの頭越しに流れる景色を見ていた。
 そして、再び電車ががたん、と揺れ隣の人の頭もぐらりと揺れて、ふわりと匂う。
 これは、と思って隣に目をやれば、揺れる黒髪から同じ男、しかも多分自分と同じくらいの高校生と思われる人から、香るのだ。
 自分などせいぜい湯上りに石鹸の匂いがする程度で、それ以外は常に部活部活で、自宅に帰れば同居している一歳年上の従兄弟に、汗臭いから早く風呂に入れ、と追い立てられる程なのに。同じ高校生男子とは思えないようなその風情に、幸村は、こんな人も世の中にはいるのだな、と妙な関心を覚えた。
 がたん、がたん、と電車が揺れるたびに、同じリズムでその黒髪は揺れて、その度にふわり、ふわり、と良い匂いがして、幸村は慣れない状況に頬が熱くなるような気がしていた。
 同じ男なのに、と思えど、普段そんな風に人の匂いを、髪の香りを感じた事も意識した事もないので、何やらどきどきしてしまって、落ち着かなかったので、ぎゅ、と鞄を抱え直して歯を食いしばって再び対面の社会人たちの頭越しに車窓の景色に目をやれば、こつん、と肩に何かが触れる気配がして、再び、あ、と思う。
 彼の、頭が、俺の肩に乗っている、と。
 そう意識してしまうと、肩の辺りが今度は気になって、だからと言って避ける気にもなれずに、彼の頭が乗っている右肩がじんわり温かいのが、思いのほか心地よかったりなどしてしまい、俺はどうしたんだ、と思っているうちに次の駅に到着して、人がぞろぞろと乗り込んできて、自分の横の一人分空いていた席も埋まったので、何となく癖でやってしまう隣の人から離れる、と言う事を無意識でやってしまったので、逆に彼の頭が乗っている肩が余計に彼に近づいてしまい、起こしてしまったか、と要らぬ心配までしてしまって、幸村は自分の頭を掻き毟りたいような気分になった。
 運良く寝ている彼は気付かずにそのまま寝ていてくれたので、幸村は何で俺が、と思うものの内心でほっと溜息など吐いてしまって、別にこの人が起きたって俺には関係ない事なのに、と思ったりもするのだが、何となくこの肩の重みを逃したくないのも本心で。
 この人はこんな風に静かに寝る人なんだな、と自分の肩にかかる黒髪と、目を落とせば視界に入る渦の弱い旋毛に、思わず頬が緩んでしまい、俺はおかしいのか、と慌てて目を逸らしたりしているうちに、自分が降りる駅に着いてしまいそうになって、漸く、あの、と一言声をかけてみた。
 「あの、すみません、俺、ここで降りるんで」
 寝ている人に悪いかな、とも思ったが小声で声をかければ、彼は、かくん、と頭を揺らしたあとに、え、と言うような顔をして幸村を見つめた。
 「あ、sorry.」
 小さく謝罪の意味の英語が聞こえて、え、この人まさか外国の人なのか、と一瞬驚くものの、すぐあとに、すみません、とさらに小さな声がして、あ、日本人だった、よかった、と幸村が思い直していると、恥ずかしそうに頬を赤らめた彼が耳に差し込んでいたイヤフォンを外し、しゃかしゃか、と音が漏れて、ああ、これのお陰で何も気付かなかったのか、と幸村は思い、いえいえ、と社交辞令を述べて席を立った。
 「あの、頭、その、……」
 言いにくそうに言葉を濁した彼に、ああ、この人は恥ずかしがりなのだな、未だに頬も赤いし、と思って、幸村は大丈夫ですよ、と声をかけるとそれじゃあ、と言って開いた自動ドアをくぐったのだった――。
 内心の動揺をひた隠して。
 彼の、あの美しさと言ったら……。
 顔を上げた途端に目を惹きつけられたあの黒髪と対のような目。
 切れ長の二重に細長い瞳が鋭くも、きれいで。
 片側は長めの前髪で隠れていたが、あの美しい目の淵が薄赤く染まった顔が可愛らしかったな、と幸村は部室で着替えながら思い起こしていた。
 あんなに色が白い人も、滅多にいないだろうな、とも。
 しかし、俺の、自分ではおかしいと思わないが、従兄弟や友達に言わせると、おかしな喋り方、とやらが、出なくてよかった、とも思っていた。
 幸村はいつの頃からか癖のように対他人や、敬うべき相手等になると、自分の事を某、語尾などがござる口調になってしまっていて、それは幼い時からで、実は今までも散々矯正しようとしてきたが、結局三つ子の魂何とやら、で、今に至るまで抜けきらずにいるのだ。
 従兄弟や近しい友達などは、おかしい、と言いながらも、最早手遅れ、と言った体で普通に接してくれているが、初対面の相手などからは未だに驚かれたりやや引き攣られたりもしていた。
 だから、今朝は、声をかけるのに勇気がいったし、口数も極力無駄が出ないように精一杯意識したのだ。
 声も普段から大きい大きい、とにかく煩い、と言われ続けているが、それも抑えたし、おかしな印象を持たれないようには、したのだ。
 彼に、変な風に思われたくなかった…?

 そこまで考えて着替え終わった制服をロッカーに投げ入れると、ぶるぶると濡れた犬のように頭を振って、自分の頬を軽く二度ほど叩くと、気合気合、と部室の窓が割れんばかりの大声で自分に活を入れた。
 勿論、他の部員たちに迷惑がられたのは、言うまでもなく、部室のいろいろな場所から、真田いい加減にしろよ、と同級生や先輩からの文句や、文句の言えない一年生たちからは、真田先輩ひでぇ、と悲鳴が上がっていた。

 あの人は、今日、たまたま、あの電車に乗り合わせただけだし、そもそも男ではないか。
 俺と同じ男だ。
 たまたま自分の周りにはいないタイプだったから、珍しかっただけだ。
 あんな風に喋る人もいないし、……そう言えば、あの、少し掠れたような声は、寝起きだったからでござろうか、それとも元々の声なのだろうか。あの声も、耳に、残る、……。
 「幸村、何をボーっとしておる」
 グランドで敬愛する師匠に声をかけられて幸村は、再びはっとした。
 また、今朝のあの人の事を考えていた。
「申し訳ありませぬ、お館様」
 ひとつ謝ってごつんと、拳をもらうと、幸村は言われたわけでもないのに、グランドを走りに行ってしまった。
 お館様直々の指導中だったと言うのに、俺としたことが、と生来持っている熱血で、実直な部分が高ぶって、相変わらずの大声で申し訳ありませぬ、お館様、と雄叫びを上げてグランドを周回するのは、最早陸上部の名物と成り果てていたので、ああ、また陸部の真田か、と言うような扱いで、部員は勿論、陸上部以外のグランドを共有している他の運動部員達やら、果ては関係のない一般の生徒や先生たちにまで、浸透していた。
 陸上部員ですら嫌な顔をするほどにグランドを走り回ってきた幸村は、さすがにぜえぜえと息を切らしていたものの、一時でも今朝の事を忘れられた事に、満足していた。




 翌日、再びいつもの電車で彼に会うまでは――。



 再び、あ、と思う。
 今朝も、いた、と。
 乗り込んで周りを見れば、いつもの社会人がやはり夢の中で、その横には昨日と同じスーツ姿の人が今日の新聞を広げていて、鏡を覗き込んでいた女性は今日は携帯を弄っていた。

 そうして、幸村は俯き揺れる黒髪の隣に座った。
 ふわ、と香る匂いに、ああ、この人の匂いなんだな、と思って、肩に担いだ鞄を膝の上で抱えると、幸村も隣の黒髪に倣うように俯いて目を閉じた。
 がたんがたん、と電車の揺れに身を任せていると、朝は強くて、いつもすっきりと目覚めるので、特に眠くもなかったが、なるほど、これは案外心地よいかもしれないな、と思って電車で寝てしまう人の気持ちが少し分かって、幸村はひっそりと笑った。
 ちら、と気になって右目を開けてみれば、やはり昨日と同じ黒髪がゆらゆらと揺れていて、小さく小さく彼の耳の辺りからしゃかしゃか、と音が漏れていて、この人はどこから乗ってきて、どこで降りるのだろうか、と気になってしまう。
 幸村はあまり音楽など聞く趣味もないし、陸上一辺倒でやってきて、しかも学校までの距離も電車に乗って三十分程度なので、こういった通勤通学御用達グッズみたいなものは持ち合わせていなかった。
 携帯ですら、つい最近ようやく手に入れて、未だにメールと電話の機能ぐらいしか使っていない有様で。
 佐助―年上の従兄弟―などは、あいぽっど、とか言うものを一生懸命編集しては、今度はあの新曲をだうんろーどしなきゃ、とか、幸村には意味不明な言葉をよく並べ立てているが、幸村自身は至って興味がないので、ふうん、と生返事をして終わりなのだ。
 だから、これだけ重装備(よく見ると彼は手に文庫本を持っていた)で、通学していると言う事は、随分遠くから乗っているのだろうな、と幸村なりに予測してみた。
 そうして、ちらりと見れば、もぞり、と隣も動いて、はっとしたように顔を上げて、左右を見回し、窓の外を睨みつけるように見遣ったかと思うと、あからさまにほっとした様子で、そこで、ようやく、隣にいた幸村に気付いたようだった。
 どうやら彼は乗り過ごしたとでも思ったのか、再び昨日と同じようにあの美しい目の淵を薄赤く染めて、あ、と口の形だけで表した。
 「おはようございます」
 その様子に微笑ましい思いになっていた幸村は、その気持ちのままに、彼に声をかけた。
 なんて、可愛らしいのか、と。
 そう思って、幸村は妙に上向いた気分で、自分でも思ってもいなかったような上機嫌な声が出てしまった。
 「oh!アンタ、昨日の。…Morning.」
 自分で自分の声に驚いていた幸村だったが、彼も挨拶を返してくれた事に、しまった、と思っていた気持ちが再浮上した。
 「まだ、前の駅を出たばっかりですよ」
 慌てていた彼を安心させようと思って、寝過ごしていない事を暗に告げれば、再び気恥ずかしそうな顔をして、そうみたいだな、と彼は呟いた。
 [a-,その、昨日は、アンタに迷惑かけちまったみてぇで。その、…sorry.」
 きゅ、ときれいな弓形を象る眉を寄せて、彼は昨日の出来事を再び謝ってきた。
 そんな彼を見て、この人はなんと義理堅く誠実な人なのか、と、幸村はさらに彼について知れた事を嬉しく感じていた。
 「とんでもござらん。それが、…俺こそ、寝ているところを起こしてしまい申して……」
 つっかえながらも、気にしないでくれと、伝えたかったのだが、失敗した気がして、そろり、と彼を見れば、何とも言えない顔で幸村を見ていた。
 笑いたいのを堪えてるのがありありと分かって、今度は幸村が頬染まる思いに駆られた。
 眉を寄せて、口元を引き結んでいるのに、笑ったような形になっている彼は、とうとう、ぶふ、と吹き出すと、sorry.と言うなり、アンタ、おかしいよなァ、と言って声を上げて笑い始めた。
 かあ、と幸村の頬に熱が集まるが、彼は気にした風もなく、アンタ面白いな、と言って尖った八重歯を見せて再びきれいな目を細めた。
 幸村は、恥ずかしい気持ちになったものの、彼の笑顔を見れたと言う事の方が断然嬉しくて、この人の笑った顔のなんときれいな事か、とそんな事を思っていた。
 もっと、笑った顔が見たいな、とか、この人の声は、元々こういう少し掠れたような声だったんだな、とか。
 頬は熱いのに、恥ずかしいのに、少し、彼に近づけたようで、嬉しくて。
 笑われているにも拘わらず、幸村も思わず笑ってしまった。
 その瞬間ぴたりと彼の笑い声が止んで、あ、と再び少し驚いたような声がした。
 さっとその頬に朱が走ったように見えたけれど、幸村が何だろう、と思って首を傾げてみれば、なんでもねぇよ、と返事が返ってきて、再び俯かれてしまった。
 ああ、その顔が見れないのは残念だな、などと幸村は思ったが、昨日の今日でこれだけ話せたのだから、よしとしよう、と自分の欲深さを戒めた。
 彼はそのまま手元の文庫本を開いてしまったし、相変わらず耳の傍からはしゃかしゃか、と音が漏れていて、途切れた会話を復活させるには、少し、勇気がいる状態だったので、幸村は残念に思いながらも、彼の俯いて流れる黒髪から覗く白い耳を見たあとに、自分の降りる駅で降りた。
 「それでは、これで」
 聞こえるか分からなかったけれど、一応、と思って声をかければ、see you.と小さく聞こえて、顔は上がってなかったけれど、彼から言葉がもらえた事に、足取り軽く幸村は通いなれた道を進んでいった。
 あの、イヤフォンがなければ、彼の世界はもう少しこちらを見てくれるのだろうか、と道々考えたりもしたが、けれど、俺にはイヤフォンを外してくれとも言う権利もないしな、と考えて、相変わらず朝練でたるんでいるぞ、と愛の拳をもらう羽目になった。
 出会って三日目にはお互いに名乗りあったが、未だ幸村は彼のことを苗字でも名前でも呼んだ事はなく、気恥ずかしさが先にたってしまうし、いつも早朝の電車の中で二人きりなので、特にあえて名前を呼ばずともお互いに会話が成立してしまっていたのだ。
 初めて名前を聞いた時、幸村は嬉しくて、その名前を絶対に忘れまい、と密かに心の中で誓った程だったのに。

 そうして、電車で知り合って一ヶ月。
 季節はお互いの学生服を衣替えさせていた――。

 彼とは、電車の中で殆ど毎朝顔を合わせていて、彼が起きていれば挨拶を交わし、少しの時間他愛ない話をして、再び彼が本に目を落としたりするまでは、幸村にとって唯一の彼と接点を持てる時間だった。
 冬服に変わって、彼のネクタイの色や制服の様子を、半月ほど前から幸村の様子の変化に気付いていた佐助に聞けば、それは幸村が通う学校の駅からさらに二つほど先に行ったところにある、割と伝統ある私立高校のもので、この辺ではかなりの進学校だと言う事が分かった。
 なぜ、佐助に聞いたかといえば、幸村の様子の違いにいち早く気付いていたのが佐助で、その彼に問い質されて、口が達者で幼少時から兄のように、母親のように接してきた幸村に、適うわけもなくて、とうとう口を割らされ、最近電車の中で少し喋る人がいて、としどろもどろになりながらも、佐助に話してしまった。
 結局その話は佐助の興味をいたく引いてしまい、根掘り葉掘り聞かれた挙句、とうとう今の自分の気持ちにまで行き着き、出会った当初から自分でも感じていた部分をずばりと言い当てられて、幸村はさらに佐助に話してしまった事を後悔した。
 最近旦那の様子おかしかったからさぁ、と笑われて、そんなに目に余るほどだったか、と自分の事なのに気付かなかった自分の不甲斐なさに臍を噛んだものだった。
 あんな風に初対面で自分の心を惹きつけられた人物と言うのは、敬愛する師匠以外には未だかつて出会った事がなかった幸村に、不思議な感覚を齎せ、あの日以来彼の事が気になってしまって、部活の練習にも身が入らない日々を過ごしていたのだ。
 お館様に初めて出会った時にも感じた事がないような、相手を微笑ましいと思い、あまつさえ自分と同じ男子高校生相手に、可愛いとさえ思ったのだ。
 その気持ちは日々が経ち、幾度となく彼と言葉を交わすようになっても、消える事などなく、それどころか益々膨らんでいくばかりで、初めて彼と出会って、その時に抱いた印象以上に幸村の中に降り積もっていった。
 時間にすれば朝の二十分程度の短い時間なのだが、その中でぽつりぽつりと交わす彼との会話は楽しくて、その少ない言葉の端々から彼の人となりを感じれば感じるほどに、幸村は彼に夢中になっていく事を、自覚し始めていた。
 これでは、俺は、彼の事が好きだと思っているようではないか、と。
 あの日、彼の頭が俺の肩に乗った時、あの時以来、ずっと俺の心を、気持ちを、占めている存在。
 それが、彼なのだ。
 伊達政宗、と言う彼によって、自分の中で知り得なかったこの気持ちや感情に気付いてしまった。
 俺は、彼の事が好きなのだ、と。
 初めて見た驚いたように見開かれた目や、翌日に見た慌てふためく様、頬を染めて恥らう姿などに、俺は今まで誰にも抱いた事のなかった気持ちを抱いてしまったのだ。
 あの人のあの艶やかな黒髪に、触れてみたい、と。
 電車が揺れるたびに香るあの匂いを嗅いで吸ってもっと、言葉を交わしたい、と。
 本当に、出会って一月の間に、何度思っただろうか。
 違う学校に通っている、という事実でさえもがもどかしくて。
 自分の中にこんな風に強く人を思う力があったのか、と我ながら驚く程で、幸村は彼に、政宗に、惹かれていった。
 けれども、あの人は自分と同じ男で、しかも、早朝の電車で偶然知り合っただけで、話すとは言え、お互いが電車に乗り合わせる二十分程度の時間だけの、短い会話。
 お互いの名前と、学校と、年齢と、それから少しの他愛のない日常会話。
 たったそれだけしか知らないけれど。
 それでも。
 それでも、俺は、あの人に心惹かれる。
 今までに出会ったどんな人にもない魅力を感じて、自分の心の奥底から、彼を求めている、と思うのだ。
 幸村にしてみれば、早朝のたった数十分の会話であっても、彼の人となりが垣間見れたし、その時々に見せる笑顔や、少し不貞腐れたような顔も可愛らしくて、相手が同性だ、と言う事に、最初の頃は多少戸惑いもあったけれど、今となってはそれは彼を諦めるための理由になどならず、自分の気持ちに正直になれば、彼に惹かれていくのを止める事もできないし、抗う事もできない。
 一思いにこの気持ちを彼に伝えてしまおうか、とも思うが、それはやはり、何だか怖くて。
 時々、ふざけたように今日は某に肩を貸して下され、と言って、彼の肩に頭を乗せたりしても、政宗は嫌がる素振りも見せずに、軽くいいぜ、と答えてほらよ、と見た目とは裏腹に案外ぶっきらぼうな、ともすると乱暴とも言えるような口調で、貸してくれるのだ。
 そんな風に幸村なりに、政宗との距離を縮めよう、とか、もう少し近くに寄りたい、とか、そういう思いを表しているのだけれど、政宗の態度はそれを助長するように、気持ち悪がるような様子もなければ、時々彼の方から、まるで幸村の気持ちを量っているかのような仕草をして見せたりして、益々幸村の気持ちは高まるばかりだし、心臓の音が一際強くなるようで、政宗は一体どういうつもりなんだろう、と思う事も多々あった。
 彼は毎日真っ白い眼帯を右目にしていて、最初の頃は不思議に思っていたけれど、ほんの二十分の間に掻い摘んで話してもらった内容によれば、小さい頃に事故で失ってしまったと言う。
 そのせいで、家族と折り合いがあまりよくなく、地元を離れてこの街で一人暮らしを始めて、その上政宗の一家はそれなりの名家だとか言う事で、世間への体裁だとか、家名だとかを重要視する家族の意見を汲んで、この辺りでは名門と謳われている学校へ編入した、と言うことだった。
 その話を聞いてからは幸村は政宗の右目の事には極力触れずにいたし、それに、そんな話がなくとも、彼の隠れた右目に惹きつけられるようだったし、何より、あの美しい目が、片方だけ、と言うのがとても貴重なもののようで、大切にしたい、と思わせた。
 彼の目は本当に眼光鋭く、澄んでいて美しくて、幸村はあの目で見られるとたまらなく彼を愛しく思った。
 その大切な一つ目を自分にだけ向けて欲しくて。
 もし、両目があったら、彼はもっと他の世界を見てしまったかも知れないし、片側だけの視界よりも、当然視界は開けるであろうから、自分を映しながらも、目の端に自分以外の何か、人やものなどを、映してしまったかも知れない。
 そう思えばやはり、事故で失ったと言う事には不憫を思うが、あのきれいな目が一つでよかった、とも思うのだ。
 唯一しかない狭い視界に、自分だけが映し出される時間が、堪らなく嬉しかった。
 あの人の世界を、今、自分が独り占めしているのだ、と思うと、えもいわれぬ喜びが幸村の背筋を駆け上がるのだ。
 そんな彼が、一つ目を細めてきゅ、と弓形にしながら幸村の顔を覗きこんできたり、幸村の一房長く伸ばしてある髪の毛を弄ってきたり、時々、本当に時々なのだけれど、彼の聞いている音楽を二人で一緒に聞いてみたり、そう言った時に触れ合う肩と肩や、手と手に、幸村はどきどきしたし、政宗からそうして仕掛けられてくる仕草に、もしかしてこの人は俺の気持ちに気付いているのでは、と不安になったりもした。
 そうやって、短くも幸せな時間を過ごしていけばいくほどに、幸村の気持ちは政宗に向かっていき、もっと一緒にいたい、もっと話してみたい、もっと触れてみたい、もっと、もっと、もっと、と幸村本人ですら、俺はこんなに強欲だっただろうか、と驚く程に欲深く、果ては浅ましく、政宗を求めるのだ。
 心が。
 体が。
 ――ああ。彼が、同じ気持ちならばいいのに。


 これが、俺の初恋か、と幸村は政宗を思って目を細めた。

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